牧野富太郎生い立ち、家族を紹介!朝ドラらんまんの主人公のモデル!

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牧野富太郎は日本の植物学の父といわれている方で、2023年春の朝ドラ【らんまん】の主人公【槙野万太郎】のモデルとなった人物です。

調べてみると、なかなか波乱に満ちた人生を送った方のようで、その人生は植物一色だったようです。

高知県で生まれ育った牧野富太郎さんのその生い立ちや、家族について紹介いたします!

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牧野富太郎の生い立ち

2023年朝ドラ【らんまん】の主人公槙野万太郎のモデルとなっている牧野富太郎さん。

日本の植物学者として広く知られていますね。

【日本の植物学の父】とも呼ばれています。

そんな牧野富太郎が誕生したのは現在の高知県です。

まずはWiki風プロフィールを見ていきましょう。

プロフィール

名前:牧野成太郎(のちに富太郎と改名)

生年月日:1862年4月24日(文久2年)

出身地:土佐郡佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町

生家の家業:商家【佐川の岸屋】という雑貨業(商家)と酒造業を営む

1862年というのはアメリカの使節ペリーが来航する前の年になりますね。

そんな時代背景の時に商家と酒造業を営む裕福な家庭に生まれました

幼少期の牧野富太郎

そんな何不自由なく育った富太郎ですが3歳で父:佐平、5歳で母:くすが病死します。

また6歳の時には祖父:小左衛門までもなくなってしまいます。

その頃に名前を成太郎から富太郎に変えたとされています。

という事で幼かった富太郎は祖母:浪子によって育てられています。

富太郎もまた、体の弱い子供だったようですね。

このころにはすでに植物に興味を持っていたようです。

 

3歳:父佐平が亡くなる

5歳:母くす亡くなる

6歳:祖父小左衛門が亡くなる

改名:6歳のころ成太郎から富太郎に変えている

元々裕福な商家の跡取り息子

幼少期から植物に興味を示していた

小学生時代

牧野富太郎は10歳のころに寺子屋、11歳の時には郷校である明教館に入って儒学者の伊藤蘭林に学んでいます。

その後、学制改革により明教館は佐川小学校となりましたが12歳の時に物足りなさを感じて中退しています。

 

小学校を中退って今では考えられないですよね^^;

 

小学校中退後

その後は野山で大好きな植物採集に明け暮れます。

今ではちょっと考えられませんが、有名な商家の跡取りだった富太郎は将来は家業を継ぐつもりで、学問で身を成すとは考えていなかったようですよ。

ですが面白いことに15歳の時には自主退学した佐川小学校で教員として働き始めるんです。

15歳で教員!しかも小学中退でというのは驚きです!天才的な何かがあったんですね!

約2年間教員として働く間にも著名な学者に会いに行ったり、高価な顕微鏡を購入し研究に明け暮れる毎日だったようです。

17歳~

佐川小学校での学びだけでは物足りずに、17歳になったころからは高知師範学校の教師である永沼小一郎より欧米の植物学についての知識を学んでいました。

この時に牧野富太郎は自叙伝で「私の植物学の知識は永沼先生に負うところ極めて大である」と記しています。

牧野富太郎の人生において、永沼先生がいかに大きな存在であったことがわかる名言ですね。

22歳で上京、東京帝国大学に!

22歳になった牧野富太郎は上京することを決めます。

そして驚くことに当時植物学の最先端を行っていた東京大学理学部の植物学教室へ乗り込みます(笑)

そこで対応したのが初代植物学教授の矢田部由吉さん。

快く入室を許可してくれて、教室へ出入りすることになりました。

植物をこよなく愛する富太郎のことが自身の姿と重なったのでしょうね

25歳・育ての祖母が死去

富太郎が東京で学問に明け暮れていた25歳の時に、幼少期からそだててくれた祖母がなくなります。

この年に【植物学雑誌】が創刊していて、この雑誌は現在でも刊行されています。

26歳(1888年)【日本植物志図巻編】~その後

1888年:昔から温めていた【日本植物志図篇】の刊行を自費で刊行しています。

これは今でいう植物図鑑の走りとなっているもので絵は牧野富太郎が描いたものが使われているんですよ。

こういった植物図鑑的なものは当時の日本には無かったもので、海外からも称賛され

富太郎は自ら描いた絵をロシアの植物学者・マキヂモヴィッチにも送っていて高い評価を受けています。

そして27歳の時に再び新種の植物を発見しています。

1890年:富太郎が28歳の時に江戸川の河川敷で世界的にも貴重な食虫植物を発見します。

これは世界的にも点々と点在するムジナモの日本での新発見であり、そのことを自ら正式な学術論文で世界に報告したことで、牧野富太郎の名前が世界に知られることとなりました。

植物学雑誌に発表し、日本で初めて新種のヤマトグサに学名をつけています。

1890年:東京で出会った小澤壽衛子(すえこ)と結婚もし、私生活でも変化のあった年ですね。

結婚と同時に大学の近くに一家を構えましたが矢田部教授によって植物学室への出入りを禁じられ、研究の水戸を絶たれてしまいました。

嫉妬、ねたみ、というものですね^^;

 

これにより【日本植物志図篇】の刊行は6巻で中断してしまいました。

失意の中の富太郎は音信のあったマキシモヴィッチの元で植物学を続けようと考えましたが、間もなくマキシモヴィッチが死去したため叶いませんでした。

高知へ戻る

東京大学への出入りが禁じられ、ロシアへ渡ることも叶わず失意の富太郎はいったん故郷の高知県に戻ります。

そこで地元の植物を研究したり、西洋音楽界を開いたりして過ごしています。

ですがある時知人の助力により駒場の農科大学【現・東大農業学部】にて研究を続けられようになり、再び上京しています。

この頃には製菓は完全に没落しており、富太郎は助手の月給だけで一家を養っており相当貧乏生活を送っていたそうですよ。

研究費などもかかるので大変だったのでしょうね・・。

その後も様々な植物の採取を続け、2500種もの植物に命名をしています。

 

物心ついた時から研究に明け暮れなくなる直前まで植物一色の人生だった富太郎さん。

晩年は山に入れなくなると庭の植物を採取したり、標本の整理などをして過ごしていたようです。

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牧野富太郎の家族は?

牧野富太郎さんは最初の上京後1888年に小沢壽衛子(すえこ)さんと結婚しています。

子どもは13人いて育てたのは6人だという事です。

妻は昭和三年に五十五歳で病歿、生まれた子供は十三人、現在六人生存、他は病歿、私には後妻はない。

牧野富太郎 牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録

牧野富太郎さんの子どもの名前もわかっています。

  • 長女:牧野香代子
  • 次女:牧野鶴代
  • 長男:牧野春世
  • 次男:牧野百世
  • 三男:牧野勝世
  • 三女:牧野己代子
  • 四女:牧野玉代 1910年9月10日-
    川村女学院卒。五交商事、日本造形各元会長・岩佐喜七の妻
  • 外孫・岩佐まゆみ 1936年6月9日-
    成蹊学園卒
  • 外曽孫・岩佐吉晃 1965年3月4日-
    成蹊大学卒。岩佐喜七の養子

たくさんの家族に恵まれた人生だったのですね^^

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牧野富太郎がモデル!らんまん(朝ドラ)のあらすじ

2023年の朝の連続ドラマ小説【らんまん】のモデルとなったのは高知県佐川町出身の日本植物学の父として知られている牧野富太郎です。

牧野富太郎をモデルにはしていますが、大胆にストーリーを再編成し、オリジナルの物語展開となっています。

そのため原作は無し、登場人物も一部改称されて描かれています。

NHKの公式発表によるとあらすじは以下の通りです。

実在の人物である牧野富太郎(1862―1957)をモデルとしますが、激動の時代の渦中で、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた、ある植物学者の波乱万丈の物語として大胆に再構成します。
登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描きます。原作はありません。

江戸時代末期の1862年(文久2)3月、全国で尊王攘夷そんのうじょういの機運が高まるなか、坂本龍馬が土佐藩を脱藩── そのわずか1か月後、同じ土佐の地で酒造業を営む裕福な商家に待望の男の子が誕生する。のちの天才植物学者・槙野万太郎(まきの・まんたろう)である。

万太郎は、明るい性質だが、虚弱な子ども。なぜだか植物のことが好きで、集中すると周りのことも目に入らなくなってしまう。大人たちは不思議な子どもだと思っているが、母親の房子は、そんな万太郎に穏やかな愛情を注いでいた。しかし、万太郎が6歳のとき、房子が病気で死去。父親も早くに亡くしていた万太郎は、祖母タキの手で育てられることになる。

タキは、名家の跡取りとして立派な男子に育てようと、万太郎を藩校に入れる。最初は学校生活になじめなかった万太郎だが、植物の名前と挿絵の載った本を見つけ、「その本が読みたい」という思いから、熱心に勉強するようになる。

その後、万太郎は学業の面でメキメキと頭角を現し、英語・地理・物理・天文など西洋の学問を次々と吸収していく。やがて明治新政府のもと新たな学校制度が始まり、万太郎も小学校に通い始めるが、その教育レベルの低さに物足りなさを感じて自主退学。その後は家業の手伝いもそこそこに、大好きな植物採集に明け暮れる生活を送るようになる。

東京上野で開催される「内国勧業博覧会」をきっかけに万太郎は初めて上京。その旅のなかで憧れの博物学者たちと出会い、日本各地の貴重な植物や海外から来た珍しい植物を目の当たりにする。「いつか必ず日本の植物のすべてを明らかにしたい!」──万太郎の植物学への情熱に火が付いた。万太郎は、東京帝国大学植物学教室の門をたたき、助手として働くことになる。水を得た魚のように研究に没頭し、新種を次々と発見、学名をつけていく万太郎。しかし、その活躍に嫉妬する教授陣から嫌がらせを受けたり、学歴がないことを理由に十分な給金をもらえないなど、理不尽な目にも多く遭う。それでも、愛する植物のため、「日本独自の植物図鑑を編纂へんさんする」という夢のため、万太郎は情熱を失うことなく一途に突き進んでいく──。

牧野富太郎はこんな人!

生年月日:1862年5月22日生まれ

出身:高知県高岡郡佐川町

職業:日本の植物学者

商家である裕福な家庭に生まれ、元々【成太郎】という名前でしたが、3歳で父、5歳で母を、6歳で祖父をなくした頃【富太郎】と改名しています。

その後は祖母に育てられています。

幼いころから植物に興味を示していて、小学校は2年ほどで中退、植物の採集に明け暮れていたという逸話が残っています。中退理由としては他にも造り酒屋の跡取りの為学問で身を立てることは全く考えていなかったからだという事です。

94歳でなくなるまで日本全国を巡って植物採取をし膨大な数の植物標本を作製、命名した植物は1500種にも及びました。

その研究成果は標本や観察記録、【牧野日本植物図鑑】に代表されるたくさんの著書として今も残されています。

小学校中退でありながら理学博士の学位も得ています。

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牧野富太郎の生い立ちや家族、まとめ

2023年の朝ドラのモデルとなった牧野富太郎さん。

今でいう小学校中退ながらも独学で様々な道を切り開いた苦労の人でもあります。

植物に一生をささげ、日本の植物学の父と呼ばれていますね^^

ドラマでは神木隆之介さんが牧野富太郎さんをモデルとした槙野万太郎を演じることが決まっています。

ヒロインには浜辺美波さん。

豪華キャストで、公開日が楽しみですね!

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